藤原ヒロシVS”文春砲”新谷学 激変する時代の「ブランド論」vol.2
30年以上にわたりファッションシーンの中心に君臨し続ける「fragment design(フラグメントデザイン)」主宰 藤原ヒロシ。一方、2012年に「週刊文春」の編集長就任後、日本のジャーナリズムの代名詞とも言える巨大メディアへと育て上げた”文春砲”の生みの親で、現同誌編集局長の新谷学。これまで交わることのなかった時代を牽引するキーパーソンが語り合う、これからの時代に求められる『ブランド論』。JBpress autograph(オートグラフ)との連動企画として、RoCでは全3編でお送りするふたりの対談vol.2では、川谷絵音、三島由紀夫、そしてユニクロがトピックスに。そして、藤原ヒロシというブランドを新谷の視点から紐解いていく。
Photo_Ko Tsuchiya Interview&Edit _Esuke Yamashita & Mio Koumura
■川谷絵音に学ぶ、”文春砲”のその後
藤原 「文春」ブランドは、大メジャーにならないようにどこかでセーブするようなこともあるんですか?
新谷 ネットがこれだけ広まってしまうと、なかなか難しいですよね。信じられないくらい拡散しちゃうので、私たちのコントロールが及ばなくなってしまう。たとえばベッキーさんの不倫だって、別に彼女にあんなダメージを与えたいとは全く思っていなかったわけで。たまたま、男性との噂がない好感度タレントさんが身を焦がしていた恋が、道ならぬ恋だった。しかも相手のバンド名が「ゲスの極み乙女。」なんて、ちょっと面白いですよね、という記事のつもりでしたが大変なことになっちゃったわけじゃないですか。
藤原 すごく広がりましたもんね。先週、川谷絵音くんとご飯食べたんですが、「来週『文春』の編集長と対談するんですよ」って言ったら、その場にいる人たちの話題が変わりましたね。「今、僕なんでもリークするんで、メモリますよ」って(笑)。絵音くんはいまだに一度も謝っていないけれど、それを追い風にできるタイプだし、やっぱり上手いなと。そもそも、そこまで罪なことをした訳ではないんで。
新谷 そうなんですよね。お前が言うなって話ですけれど、渡部建も、川谷絵音も、そこまで悪いんですか?と。私たちは断罪しているつもりはないのに、結果的にそうなってしまっていることに対しては、忸怩たる思いがあります。
「週刊文春」は、人間の裏の部分にある愚かさや浅ましさといった〝業〟の部分をけしからんと否定したいわけではない。むしろ、「わかっちゃいるけどやめられない」というその人間臭さ、面白さを肯定したいという気持ちがベースにあるんです。
川谷さんは、そういう意味では非常にわかってくれる人で、その後ご自分のミュージックビデオを「週刊文春」の編集部で撮りたいという連絡をもらったときは、どうぞ、どうぞと。私の編集長席に座ってもらったりして。そういうのは全然ウェルカムです。私たちは、別に彼の生き方や人格を否定しているわけではないので。
藤原 そうやって付き合っていければいいですよね。スクープを撮られるのは本人がしたことだから仕方ないですが、その後の立ち振る舞いというのがすごく重要な気がします。それも本人のブランディングじゃないですか。絵音くんは、「ゲスの極み乙女。」のあの曲が不倫ソングみたいになっていて、他の人が不倫しても音楽がかかるから印税が入ると言っていましたよ(笑)。
新谷 さすが腹が据わっていますね。
■〝ロス疑惑〟と三島由紀夫
藤原 僕は不倫なんてくだらないし、放っておいたらいいと思う派なんですよ。でも最近はそれがメインになっていて、「文春」というメディア本来の、必殺仕事人的立ち位置と、ズレてきているのは確かだと思うんです。だから、この前の議員の汚職や、むかしの〝ロス疑惑〟みたいな記事に関しては、売れなかったとしてもバンバン行ってほしいですよ。
新谷 毎号きちんと読んでもらえれば、不倫ばかりやってるわけじゃないと理解してもらえるんですが、結局その手の記事ばかりが他メディアによって拡散されるので、そういう印象が強くなってしまいますよね。
もともと『文春』のスタンスって、新聞やテレビでは書けない、読めないようなことを伝える、という点にあったんです。それが有名になった一番のきっかけは、1981~82年くらいにかけて報道された、三浦和義さんの〝疑惑の銃弾〟、〝ロス疑惑〟でした。
藤原 僕、三浦和義さんとご飯にいったことありますよ。友達が、三浦さんがやっていたフルハムロードというお店で働いていたので。
新谷 えー!そうなんですか。
藤原 むかし景山民夫さんとラジオをやっていて、彼の事務所にもお世話になっていたことがあるんです。景山さんは、当時「オレたちひょうきん族」に”フルハム三浦”というキャラクターで出ていたんですが、彼が原宿で開いたライブに三浦さんご本人が登場したときに、僕も同じステージに上がったこともあるんですよ。その後、結局三浦さんは亡くなられましたが、「文春」はその後も追っていたんですか?
新谷 追っていました。グアムの刑務所で亡くなったんですよね。
藤原 自殺ということになっていましたが、あの謎については解明されたんですか?
新谷 あの事件については、いまだにわからないことが多いですよね。それにしても、藤原さん、アンダーグラウンドな情報に詳しいですね! 何を話しても「そんなの知ってますよ」という感じで。
藤原 僕、そういう話好きなんです。さすがに「文春」には「週刊実話」みたいな裏社会ネタは少ないと思いますが、右翼団体から抗議がきたりしないですか?
新谷 最近右翼はあまりありませんが、抗議や脅迫状なんかは今もよく届きます。監禁とか、身体的な暴力の危険性もつきまとっていますが、それは腹をくくってやっています。そういえばむかし、私が抗争中の暴力団のトップにインタビューしたときに、若い衆たちのスウェットパンツのポケットが拳銃の形に膨らんでいたのを、今でも鮮明に覚えているなあ。しかもその後、一緒にインタビューした組織のナンバー2、ナンバー3はいずれも射殺されました。
藤原 映画みたいですね。
新谷 私が編集長になってから一番現場が青ざめていたのが、酒鬼薔薇事件の犯人、元少年Aの現在を追った記事。防刃チョッキを着て元少年Aを直撃した記者が、「お前ら命賭けて来てるのか、顔は覚えたからな」と言われて、1kmくらい走って追いかけられました。彼は一度見た人の顔を、カメラみたいに覚えられるという特殊能力を持っているんです。追いかけられた記者は「ヤクザより全然怖い」と言っていましたよ。
藤原 彼の冤罪説を書いていた革マルの人たちはどうなったんですかね?
新谷 めちゃくちゃ詳しいですね(笑)。
藤原 僕、酒鬼薔薇聖斗事件の本、毎回買っていたんですよ。新谷さん、「模索舎」という書店は行かれますか? 自主流通本を中心に扱っていて、マルクス主義からパンク、HIP HOPまでアンダーグラウンドな本が山のようにあるんです。ぜひ行ってみてください。僕もよく行くんですよ。
新谷 三浦和義に始まり、革マルまで。この振り幅は、ジャーナリズムの世界にいる人間でも全然ついてこれないかもしれないな。
藤原 新谷さんは学生時代、文学青年だったんですか?
新谷 藤原さんがDJやってたことで有名な、大貫憲章さんの「ロンドンナイト」に行ったり、飲んで遊んでました(笑)。三島由紀夫とか谷崎潤一郎なんかは好きでよく読んでいましたが、文藝春秋の中では全然でしたね。
藤原 最近「Rizzoli」から出版された三島由紀夫の写真集、担当者が僕の本と同じなんです。それで送られてきたんですが、当時の空気感の中で、三島由紀夫がああいう写真を撮ったり活動していたのって、周りの真面目な右翼や左翼からは認められていたんですかね? それともあまり相手にされてなかったのか? あの写真集だと、アングラなナルシストに見てしまう。どういう人たちから支持されてたのか、気になりました。
新谷 ちょっとコスプレっぽい。確かに自衛隊の中でも冷ややかに見ていた人も多かったでしょうね。一昨年公開された映画「三島由紀夫vs東大全共闘」という映画はご覧になりましたか?
藤原 はい。
新谷 私はあの映画を見て、彼らが生きた”言葉がまだ生きていた時代”に改めて感動したんです。三島と東大全共闘は、立ち位置も主義主張も全く相入れませんが、逃げずにお互いの言葉に耳を傾けたり、ときにはぶつけ合う。今の日本やアメリカはネトウヨとネトサヨに分かれて、ただただ分断してしまい、もはや議論にならないじゃないですか。そんな状況の社会であの映画を観ると、こんなにも言葉の力を信じてぶつけ合えていたあの時代の空気を、羨ましく感じてしまいますね。
藤原 あの映画の中で、三島が全共闘たちに放った言葉で、すごく腑に落ちたものがあるんです。「ここに机がある。職人がつくった美しいもので、机であることを最終目的にされているのに、君たちはこれをバリケードとして使う。これでは机としての役目を果たしていないのではないか……」。用途の目的の変更とか、難しいことを話しているんですが、僕は、これが保守と革新の意識の違いを露わにしているのかなと思いました。僕は双方の考え方が美しいと思います。
新谷 観るポイントが深いですね。
藤原 僕的には、机が机として凛と佇んでいるのも美しいけれど、バリケードになっている様も美しいと思う。両方を美しいと感じられるけれど、彼らにとってはそこが境界線なのかな、って。
新谷 面白い視点ですね。藤原さんのそういうカルチャーやアンダーグラウンドな世界への関心は、もともとのベースであるパンクやHIPHOPカルチャーからの影響もあるんですか? 権威や権力で抑えつけようとするものに対する、無意識的な反発というか。実は私の中にも、そういうところがあるんです。
藤原 もしかして世代もあるかもしれません。僕は三島由紀夫の”言葉での戦い”のように、アカデミックなことが格好いいと思っていた、ギリギリ最後の世代なんだと思うんです。しかしその後どこかで、お金そのものが価値観として上位に来た。お金や、お金を得るためにすることが、格好いいトレンドになってしまったんです。だから僕の世代の前と後では、けっこう差があるような気がしますね。
新谷 私たちの高校生時代に、田中康夫さんの「なんとなく、クリスタル」が出たんですよね。ブランドをありがたがる風潮が「POPEYE」などと相まって広まっていくという。
藤原 カタログ世代というか。
新谷 藤原さんは振り返ってあの時代はよかった、と思うことはあるんですか?
藤原 僕は全くないですね。いつも今が一番だと思っています。
■「もっとメジャーになれた」新谷が紐解くブランド”藤原ヒロシ”
―新谷さんの立場からファッション業界って、どのように見えていますか?
新谷 取材対象としては、ある程度有名じゃないとバリューもないし、読んでもらえないですからね。ただビジネスとしては転換期にあることは確かだと思います。
藤原 ユニクロについてはかなり書かれていますよね。
新谷 そうですね。最高裁まで争いましたね。勝ちましたけれど。
藤原 覆面取材していたのは「文春」でしたよね?
新谷 そうです。「ユニクロ潜入一年」というタイトルで、横田増生さんというジャーナリストが書かれたのです。本名だとバレるから奥さんと偽装離婚して戸籍上の名前も変えて、私文書偽造にならない形で応募して雇われて、アルバイトとして1年間働き続けたんです。
藤原 現代の「ルポ・精神病棟」みたいな感じですね。
新谷 まさにそうです。体を張って。藤原さんはユニクロとは関わりはあるんですか?
藤原 僕はユニクロを買ったこともないし、この先着ることもないかなと思っています。別に嫌いなわけじゃないし、面白い会社だと思いますが、僕自身が着るか否かはまた別の問題で。僕は違うブランドのものを着たほうがいいかなって。
新谷 もちろんお仕事の依頼も多いと思いますが、やはりお断りしていると。
藤原 そうですね。僕がユニクロのCMに出ていたら、ががっかりする人もいるかな、と。と思いますし。「文春」と同じで、自分のブランディングとしてもないですね。おじさんたちをお洒落にして、世の中の景色を変えたのはユニクロだと思っているし、社会貢献もしている会社だとは思いますが。
新谷 そのあたりの見極めって、”格好いいか格好悪いか”とか”本物か偽物か”みたいなポイントがあるんですか? それとも感覚的なものですか?
藤原 本物か偽物か、という基準ではないですね。ユニクロもルイ·ヴィトンも本物だと思うし。格好いい悪いでもなく、自分に向いているか、向いていないか、という感覚的なものかもしれません。あと、権威主義的というか、上から来るような感じのものは少し苦手です。なんとか賞みたいなものも、自分から欲しいとは思わないですね。
新谷 なるほど。藤原さんは、もっとメジャーになろうと思えば、いくらでもなれたじゃないですか。なぜそれをしなかったんですか?
藤原 それは”たられば”的な話かなって思いますけれど。僕にはリスクを抱えることへの恐怖心があって、人を雇ったり、叱って教育したり、ということに向いていないということが自分でわかっているんです。できる限り小さく小さく、好きなときに移動して、好きなときに辞めて、ということをやりたかったので、自分の会社を大きくすることには抵抗があったというか、自信がなかったですね。
新谷 その結果、藤原さんはどんなに時代が流れても消費されずに、フレッシュに輝くブランドであり続けている。それは戦略的にやってきたんだろうな、と思ったのですが。
2020年にRizzoliより刊行されたHIROSHI FUJIWARA「Fragment#2」
藤原 戦略的ではなくて、自分のキャパシティ内で動きたいっていうのが一番なんですが。
新谷 でも、抱えているプロジェクトの数は膨大ですよね。
藤原 そう言われますが、現在のメゾンブランドのデザイナーのほうが、仕事の量は断然多いですからね。僕なんて、たとえば「Braun(ブラウン)」で4個時計つくるだけで、たくさん仕事をしているように見られますけれど(笑)。
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