2018.10.01

旧東ドイツとアンダーグラウンドが共鳴するベルリンの「FUNKHAUS」

150330_Funkhaus-402 壁が崩壊してから29年、今もなお街の至るところにその痕跡を残すベルリン。一つの国が一つの街の中で東西に分断されていたという数奇な歴史を持つベルリンは、いつしか世界を魅了して止まないアンダーグラウンド・クラブ・カルチャーの発信地へと変貌を遂げた。壁崩壊後、ゴーストタウンと化した街に出来たのは、それまでの政治的抑圧から解放された若者たちによって作られた”遊び場”だった。無法地帯だった街の廃墟同然のビルを占拠し、DJブースを作り、バーカウンターを作り、パーティーを始めた。これがベルリンにおけるアンダーグラウンド・クラブ・カルチャーの始まりであり、後に世界的ムーブメントを巻き起こすまでとなったことは紛れもない事実である。

 厳しい取り締まりとともに商業的になったとはいえ、現在のベルリンのクラブシーンには当時のアンダーグラウンドスピリットが十分に根付いていると言える。そんなベルリンで今、新たなカルチャーの発信地として話題となっている「FUNKHAUS(フンクハウス)」を紹介したい。

Interview&Text : Kana Miyazawa

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「FUNKHAUS」は、街の中心からは少し離れたケーペニック地区のシュプレー川沿いに位置する複合スタジオ施設であり、13ヘクタール以上にも及ぶ広大な面積を誇る。複合スタジオ施設としては世界最大規模と言われており、ブロックA~Dの4つに分かれた敷地内は、レコーディングスタジオ、イベントホール、コワーキングスペース、カフェ、レストランなどが入居している。2015年に起業家Uwe Fabich(ウーヴェ・ファビッヒ)によって買い取られた後、現在のようにクラブイベント、コンサート、ファッションショー、ITイベントなどといった様々な用途で幅広く活用されるようになった。最近では坂本龍一が盟友Alva Noto(アルヴァ・ノト)とコンサートを行ったのが記憶に新しいが、Tony Allen(トニー・アレン)、Aphex Twin(エイフェックス・ツイン)といった世界的アーティストの公演も続々と予定されている。

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 またRed Bull Music主催によるアーティスト支援のための音楽学校Red Bull Music Academy 2018(以下、RBMA)の会場にも選定され、9月8日から10月12日までの約1ヶ月間、世界各地から招聘されたパイオニアたちによって様々なプログラムが行われている。期間中ブロックB内には、RBMAのための特設エリアが設置され、ベルリンのギャラリーKönig Galerie主催のアート展示やデザインスタジオNew Tendencyがインテリアを手掛けており、コンテンポラリーアートとデジタルが入り混じるミュージアムのような世界観を作り上げていた。

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「Red Bull Music Academy 2018」特設エリア

今となってはこういった世界のトップアーティストやグローバル企業が活用する最先端の文化施設となっているが、その背景にはドイツにおける長い歴史が深く刻まれていることを伝えなければならない。FUNKHAUSとはソビエト連邦の支配下にあったドイツ民主共和国(通称旧東ドイツ、DDR)のラジオ局であり、FUNK(フンク)とはドイツ語でラジオという意味を持つ。音楽ジャンルに見られるご機嫌な”ファンク”ではなく、暗く重い影を残す共産主義時代の産物なのだ。

 1951年にBAUHAUS(バウハウス)出身のモダニズム建築家として知られるFranz Ehrlich(フランツ・エーリッヒ)によって建てられた同施設は、旧東ドイツを象徴する代表的な建物として現在は重要文化財に認定されている。中世のゴシックやバロック様式に見られる豪華で美しい装飾を一蹴し、アヴァンギャルドな外観と機能性や合理性を重視した鉄筋コンクリート建築がモダニズムの特徴とされているが、FUNKHAUSにおいては派手な装飾こそないものの赤いレンガで覆われた外壁は控えめなエレガントさを漂わせ、シュプレー川のほとりとともに美しい光景をみせてくれる。

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 「FUNKHAUS」を語る上で絶対に欠かせないのが、当時のエンジニアGerhard Probst(ゲルハル・プロブスト)が心血を注ぎ造り上げた4つのレコーディングスタジオだろう。最も有名なブロックBにあるStudio1(Saal1)はフルオーケストラのレコーディングのために作られたスタジオで900㎡という広さを誇る。艶やかなアンティークウッドに囲まれたアーチ型のスタジオは、均一に並んだ吊り天井、階段状に設置されたステージ、客席とどこを取っても気品に溢れている。なんと言っても一番の驚きは、種類の異なる木材で作られた三角柱のパネルによって構成された壁縦に回転する仕組みとなっており、反転させることによって音の反射や広がり、吸収を調整することが出来るという”カラクリ”スタジオであることだ。しかも、頭上に飛行機が飛んでも聴こえない完全防音であり、1950年代にこれほどまでの技術があったことに驚愕するとともに、共産主義国にしか存在しないであろう究極の政治的イデオロギーを感じずにはいられない。

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「Studio1(Saal1)」

 実際、エーリッヒはヨシフ・スターリンの思想に大きく影響を受けた共産主義者であり、10年間収容所に入っていた経緯を持つ。ブロックBの正面エントランスの床には第二次世界大戦で破壊されたナチスを象徴する総統官邸の大理石が使われており、真っ黒に塗られた巨大な円柱とともに異様なまでの存在感を放っている。政治的思想においては到底理解することは出来ないが、独裁国家のもとで創られた数々の造形物を目の前にその完璧な美しさと独特のフォルムの虜になってしまうことは否めないだろう。

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 先に述べたRBMAのイベント会場の一つとして使用されている巨大なコンクリートスケルトンビルShedhalle(ブロックD)もラジオ局だった時代には駐車場だったというから驚きである。ノコギリのような形のユニークな屋根は北側採光という直射日光を避け、均一に光が入るように設計されており、アーチ型の天井と剥き出しのコンクリートで出来たミニマルな空間は硬いテクノサウンドには最高の環境と言える。レコーディングスタジオとは真逆に壁に反射する音の残響が強烈で身体全身にボディーブローのように効いてくるのだ。ビートの激しいエレクトロニック・ミュージックのイベントのメイン会場となっているのも納得だが、ファッションショーや厳かなディナーパーティーにも使われており、単なる駐車場だったとは誰も思わないだろう。

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「Shedhalle」

 1956年から1990年までの冷戦真っ只中、国民に政治的思想を訴え続けるためにラジオは非常に重要な役割を果たしていたと言える。1970年代にはラジオ局で働く従業員は3500人以上にも及び、敷地内にはスーパー、幼稚園、病院、銀行、ヘアサロン、レストラン、バー、サウナ、書店と、まるで一つの街のようになっていたという。それだけ聞けば共産主義時代の制限された質素な暮らしではなく、一見華やかで自由な印象を受けるが、常に盗聴され、監視状態にあったことを忘れてはならない。

 冷戦の終焉とともに閉鎖されたラジオ局は、時を経て、多くのサウンドエンジニアやアーティスト、クリエイターたちによって幾度となくカスタムメイドされて、現在のような世界が注目する最先端カルチャーの発信地へと変貌を遂げ、今もなお進化し続けている。ラジオ放送用の録音スタジオと編集者や管理者のためのオフィスがあったブロックAに位置する9階建の本館は、未来の音楽業界を担うであろう若きクリエイターのための学校dBs Music Berlinとして開校されたばかり。壁崩壊後に生まれた若者たちは、旧東ドイツの面影を色濃く残す施設の中で、最先端のデジタル技術を学びながら独自のカルチャーを構築していく。それはまた新たなムーブメントの始まりかもしれない。

IMG_0041■FUNKHAUS Berlin
住所:Nalepastraße 18, 12459 Berlin, Germany
URL:http://www.funkhaus-berlin.net/

Photo: FUNKHAUS official、Red Bull Content Pool、Takafumi Tsukamoto

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