2021.02.13

「MAISON」渥美創太と「Sumally」山本憲資が語る、コロナ禍のフードシーン <前編>

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パリジャンが愛する料理人として知られ、2019年に自身のレストラン「MAISON(メゾン)」をパリにオープンした渥美創太と、独立前から彼の料理に注目していたという「Sumally(サマリー)」代表 山本憲資。経営者という共通項をもつふたりが語る、現在進行形のwithコロナのフードシーンとこれから、そして変化の捉え方とは。渥美が一時帰国中に「TRUNK(HOUSE)(トランクハウス)」で特別に開催した11組のシークレットレストランを舞台に、ふたりの対談が実現した。

Photo_Ko Tsuchiya Edit&Text _Naoko Monzen Direction_Mio Koumura Special Thanks_ TRUNK(HOUSE)

maison_trunk_20210204_11石畳に黒塀と、神楽坂らしい風情が感じられる「かくれんぼ横丁」に佇む「TRUNK(HOUSE)」。もとは築70年の料亭で、外装には手を加えていない。モダンにリノベーションされた内装とのコントラストがユニークだ。

渥美創太の世界観を表現する無二の場所、「MAISON」

ー山本さんは「MAISON」のほか、渥美シェフが独立前に働いていらした「Le Clown Bar(ル・クラウン・バー)*」にも何度か行かれていたそうですね。*1916年創業の老舗が、オーナーが代わったことによって当時パリに珍しかったタパス・バースタイルへとリニューアル。渥美がシェフに就任し、連日2回転が満席の超人気店へと変貌する。

山本 Le Clown Bar」は全然予約が取れなくて、伺えたのは飛び込みで2回ほど。食材の火入れが素晴らしいなと感動しました。その後、独立されたというお話を聞いて、すぐに「MAISON」にも伺いました。実に完成度の高い、パリらしいレストランだと感じましたね。日本のレストランですと、もっと料理に寄るか世界観に寄るかのどちらかが多いように感じます。「MAISON」には一貫した世界観と物語がありました。日本人らしいきめ細やかさもあって、フレンチレストランの進化形とでも言えばいいのか、そのバランスがとても心地よくて、パリのなかでも独特のレストランだと感じました。また行きたいなと思う場所です」

maison_trunk_20210204_17パリの11区で隠れ家的な雰囲気を漂わせる「MAISON」。もともとあった一軒家が、パリを拠点とする建築家、田根 剛によって力強さと温かさが共存する空間へと生まれ変わった。ドアの横に書かれた「MAISON」のロゴはカルト的な人気を博す映画監督、デヴィッド・リンチによるもの。

ーグランメゾンからビストロまでさまざまな業態を経験されてきた渥美さんですが、「MAISON」ではどのようなコンセプトを設定されていますか?

渥美 コンセプトはないです。逆に、決めたらだめだなと。その時に作りたい料理を素直に作ることが大事だと思っています。雇われている時は、その店のスタイルに合わせる必要がありました。そうすると、店のスタイルと反対のことがやりたくなってしまうんですよね。最後にいた「Le Clown Bar」は文字通りバー。その反動で、「MAISON」ではガストロノミーをやろうと。といっても、いわゆる三ツ星レストランではなく、自分が思い描く居心地のいいガストロノミーのレストランを具現化したいと思っています。

山本 「MAISON」は肩肘張らない雰囲気ながら、洗練されていますよね。空間に関しては田根さんの力が大きいのではないかと思いますが、非常に贅沢なスペーシングでした。

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maison_trunk_20210204_18MAISON」のラウンジ(1階)、オープンキッチンを備えたダイニング(2階)。フランス中から集めたという2万枚以上に及ぶテラコッタタイルが印象的だ。/ Photo_ 11h45

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MAISON」以前からの渥美のスペシャリテ、「Pithiviers de canard(鴨肉とフォアグラのパイ包み)」。彼の料理の根幹が伝統的なフランス料理にあることを物語る一品。/ Photo_ Joann Pai


コロナ禍におけるパリと東京のフードシーン

山本  MAISON」のオープンから半年ほどでパリはロックダウンになってしまいましたよね。以降の現地のレストランはどのような状況だったのでしょうか?

渥美 ロックダウン前は普通に営業していましたね。ただ、本当に突然の出来事で、土曜日の夜に発令があり、日曜からロックダウン。うちはまとまった量の食材を購入しているので困りました。徐々に飲食店から医療関係者に向けたボランティアなども始まりましたが、最初はコロナが未知のものすぎて街全体がピリピリしていましたね。いろんな噂が飛び交って、何が本当かわからないという。現在はテイクアウトをしているレストランが多いですが、うちは完全に休業しています。

山本 パリに観光客が来なくなって雰囲気は変わりましたか?

渥美 ものすごく変わりましたね。「MAISON」にしても、オープン当初にメディアへの露出が多かったからかフーディーやインスタグラマーとおぼしき方が多かったのですが、それがぱたっとなくなりました。代わりに地元のおじいちゃんがふらっと来てくれたりして(笑)。ロックダウンが一時解除されていたときは、落ち着いて食事を楽しむパリジャンが増えましたね。

山本 東京のレストランは時間の短縮要請に従いつつ、夕方からオープンしたり通し営業にしたりと、工夫されているところが多いようにも見えましたけどね。

渥美 東京の料理人仲間に聞くと、「やりにくい」と厳しそうでしたね。20時まで営業といっても、飲食店に行くことが推奨されているわけではないし。店を開けなければ経営的に苦しいけれど、緊急事態宣言下に開けていいのか?という葛藤があると。「(営業の可否を)どちらかにはっきりしてほしい」って。

山本 曖昧というか、すごく日本っぽい措置ですよね。(2度目の緊急事態宣言下においては)時短営業に協力した飲食店への協力金が一律16万円というのも、規模の大きい店からは不平等との声が挙がっています。さらに資本金が5,000万以上、従業員が50人以上の場合は協力金が出ないという厳しいものでした(後日、追加で支給対象に)。フランス政府の飲食店への補償はいかがですか?

渥美 昨年11月からレストランに最大で月1万ユーロ、12月以降は前年度の売上の20%(もしくは1万ユーロと比べて金額が高いほうを支給)が補償されることになりました。これに加えて従業員の給与は会社負担ゼロなので、うちの店だけでも月に数百万円の補償を受けることができています。とはいえ、家賃等の固定費はかかり続けるため、経営者としては非常に厳しい状況です。

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Beforeコロナ、Afterコロナの働き方

山本さんも経営者ですが、コロナによって働き方はどう変わりましたか?

山本 弊社は完全にリモートです。通勤時間がなくなり効率がよくなったという声も多く、これからもずっとリモートワークの方針です。自分は昨夏に東京から軽井沢へと拠点を移しました。こういうご時世ということもあり、自然のなかで暮らすのは心地がいいです。そもそも移動が好きなので、海外に行けないというストレスはありますが。

ここ5年くらいで移動中も移動先でも圧倒的に仕事がしやすくなりましたね。コロナが働き方を劇的に変えたというよりも、どこにいても仕事ができるという土壌が裏側で育っていて、コロナによってそれがはっきりと可視化されたという感覚があります。

渥美 確かに、そうかもしれないですね。

山本 もちろん業界によって違いはありますが、飲食業界にしても、今回のシークレットレストランや渥美さんが年末に茶葉ブランドの「GEN GEN AN(ゲンゲンアン)」と共催されたフードトラックといった国を跨ぐプロジェクトも、ここ数年のオンラインツールの進化に伴って格段に進行しやすくなったのではないでしょうか。遠隔での打ち合わせや食材調達のハードルが下がっていますよね。

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渥美 そうですね。いま銀座ソニーパークに「GEN GEN AN」が期間限定のティースタンドをオープンしていて、「MAISON」からうまれたブランド「TOMETTE(トメット)」で開発したお菓子を提供しています。そこから派生して、昨年末に2日間だけのフードトラックを開催しました。屋外なので感染のリスクも軽減できると思いましたし、何より楽しかったですね。トリュフや鰻、鹿タンなどを使って、なかには¥4,000くらいのメニューも。「フードトラックの値段じゃない」と言われましたが(笑)、両日2時間ほどで売り切れました。この成功を受けて、今度は春から夏にかけてかき氷バージョンを開催できたらいいなと思っています。

期間限定フードトラックのようなイベントといえば、店舗を持たずに出張料理をメインに行うノマドシェフや、店舗の営業日を絞ってほかの飲食店や食品ブランドのプロデュース業に力を入れるシェフが登場して、料理人の働き方も多様化しつつあると感じますが、渥美さんはそういった働き方をどう思われますか?

渥美 自分がそういう生き方をするかどうかは別として、それぞれ好きなように、やりたいように働くのがいいと思います。自分は料理ができればそれでいいので。といってもいまそう思うだけで、1年後、2年後には全然違うことをしているかもしれないですけどね。

東京の独特なレストラン環境

山本 そもそも東京のレストラン環境はかなり特殊だと思います。まず、小規模でトップクラスのお店がこれほど密集している大都市は世界的にみても例がなく、おいしいレストランの密度がすごく高い。大学生なんかが行きそうなそのへんの洒落たダイニングバーでもアメリカだと一つ星とれるんじゃないか、というレベルの料理を出していたりしますし。そんな中で星を獲るような最高峰のシェフが目指しているのは、夜に2回転まわすカウンター8席程度のお店だったりすることが珍しくありません。それは食べる側にとって非常に恵まれているレストラン環境ですよね。大勢に向けた料理よりも少人数に向けて作った料理のクオリティが高くなるケースが多いですから。

結果、世界基準と日本、特に東京を比べると飲食業が別の競技みたいになっている。世界でみたときの料理人としてのわかりやすいサクセスストーリーは、世界中に大箱のレストランをつくって、経営者としても成功しているジョエル・ロブションやアラン・デュカスのような方々でしたが、東京の料理人はそこをなぞってもいないんです。だから我々は非常にハイレベルな料理を日々享受できているんですね。この何年かでずいぶん値上がりした傾向はありながらも、それでも世界基準に比べるとトップクラスのお店のコストパフォーマンスはまだまだ高いと思います。

パリで活躍する日本人シェフは、その間をいかれている方が多いのかなという印象です。手を広げすぎず、かといってカウンターだけの店に留まらず。

渥美 そうですね。「MAISON」も30席くらいですが、それは食材と人材育成のため。いい食材を購入して使い切るためには、ある程度の規模が欲しい。農家さんや生産者さんとコミュニケーションをとって、いい食材があれば全部購入する。そうすることで信頼関係ができあがっていきます。

優れた料理人をどんどん育てていきたいので、その意味もあります。MAISONはもちろん、TOMETTEにも後進を育成したいという思いがあります。

「MAISON」渥美創太と「Sumally」山本憲資が語る、コロナ禍のフードシーン <後編>

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