2024.06.18

Lennon’s 2499

長きに渡り 所在 が不明 となっていたジョン・レノン所有の Patek 2499 Tiffany  に関する これまでで最も詳細な記事が THE NEW YORKERに掲載されました。

この時計は1980年にオノ・ヨーコが 5番街のTiffany で購入し(当時は25,000ドルだった)10月9日、つまり彼が凶弾に倒れる2か月前に ジョン・レノンに 贈ったとされる2499で、彼の死後 30年間  この時計の存在は、ごく少数の家族や親しい友人以外には知られることはなかったという。

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記事を要約すると、以下の通り。

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このパテックフィリップ Ref.2499 は 彼の死後 20年間はアッパーイーストの高級マンション  ダコダハウス(ジョンが5部屋所有)の1部屋に保管されていたが、2005年頃に 小野洋子の運転手を10年務めたカルサンというトルコ人によって盗まれた。彼はプライベートな写真や録音した音声データ等をネタに小野洋子を脅迫し金銭を要求し 逮捕される。彼は有罪となりトルコへの帰国を命じられる訳だが、その時 彼が密かに盗んでいたジョンのPatek 2499 も一緒にトルコへ渡る事になった。その後 カルサンは自宅を購入するために 友人のエルハン・G(ベルリンから来た同じくトルコ人)に 借金の担保としてレノンの2499を渡したという。その後 2499を預かったエルハンは Auctionataという新興のオークション会社に 2499を出品しようと考え 写真撮影まで行ったが 出品には至らず(下記がその幻の写真である)、結局 コレクターでイタリア人 の A氏に80万ドルで売却したという。

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Auctionata によって撮影された ジョンの2499。裏側には  (JUST LIKE) STARTING OVER  LOVE YOKO  10.9.1980  N.Y.C   のエングレーヴ。

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コレクターA氏 は 手に入れてから 数カ月も経たないうちに、レノンの2499 をクリスティーズのジュネーブ・オフィスに持ち込んだ。鑑定プロセスの一環として、クリスティーズの担当者は小野洋子の弁護士に連絡。彼女は急いで鍵のかかった部屋を確認したが、ジョンの時計はそこになかった。この時に盗難が初めて発覚したという。

時計が盗まれたものであることを知らされたクリスティーズは、2499をジュネーブの金庫に保管した。その後は小野洋子と A氏 の間で 正式な所有権をめぐって裁判が行われている。控訴審は「小野洋子 が時計の唯一の正当な所有者 である」という下級審の判決を支持したが、A氏(イタリア国籍を持つ時計コレクター)は別の控訴で応戦。この訴訟は現在 スイス最高裁判所の手中にあり、今年後半に判決が下される予定である。また A氏に ジョンの2499 を売却したエルハン氏 は故意に盗品を売買した罪で有罪となり 1年間の執行猶予付き判決を受けた。その判決によって、スイスの判決が A氏は時計の正当な所有者ではないと宣言する際に引用した法的基盤ができた。スイスに詳しい弁護士によれば、最高裁がこれと異なる判断を下す可能性は低いという。もし最高裁が控訴裁判所の判決を支持すれば、時計はニューヨークに戻ることになるだろう。

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もしオノ・ヨーコ が正式にこの時計をオークションに出すなら、ポール ニューマン氏 のデイトナを超える落札金額なる可能性もあるでしょうね。さて、どうなりますか。

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Patek Philippe