2022.12.31

藤原ヒロシのパンクを生んだ、ヴィヴィアンとマルコムの存在

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2022年12月30日、パンクの女王ヴィヴィアン・ウエストウッドがこの世を去った。英国を代表するデザイナーであり、晩年は環境問題を提起するアクティビストとしても意欲的に活動していた。藤原ヒロシは10代から20代の頃、ヴィヴィアンをはじめとするワールズエンドのメンバーたちと親交が深かったことでも知られている。「僕のパンクは、”=(イコール)”ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレン」と話す藤原が、訃報を受け今思うことを明かしてくれた。

Photo by Hiroshi Fujiwara

「ファッションに目覚めて、初めて自分から好きになったのがヴィヴィアンがデザインしたパンクだった。だから、ヴィヴィアンは憧れの存在でした。」

藤原が80年代にヴィヴィアン・ウエストウッドの前身で、マルコム・マクラーレンと立ち上げた「セディショナリーズ」や「ワールズエンド」の服を着ていたのは有名な話だろう。「中学生の頃は名古屋の『赤富士』というショップがセディショナリーズを取り扱っていて、名古屋に住む姉の友人にお願いして買ってもらっていました。上京してからは、千駄ヶ谷にあったパンクのお店『スマッシュ』で買い付けていて、いつも巡るショップの一つでしたね」 SEX PISTOLSに象徴されるセディショナリーズのボンテージパンツやガーゼシャツ、モヘアニット、ワールズエンドだとBow Wow Wowが体現したパイレーツスタイル。アイデアマンだったマルコムによって、音楽とファッション、カルチャーがミックスされたこのブランドの唯一無二のムードは若い頃の藤原を大きく魅了した。

ヴィヴィアンと初めて会った時について、「あまり覚えていないけれど、何か準備して会ったのではなくて、たまたま会えた記憶。ワールズエンドのスタッフと仲良くなって、その関係で一緒にご飯を食べたり、遊びに出かけるようになったんじゃないかな。それからはロンドンに行くと、滞在期間中に『なにやってるの?』って電話をして会ってました。当時はメールも携帯もないので、僕から連絡するしかなかったから。」と振り返る。20歳以上も年齢が離れた”友人同士”。年齢差を全然気にしたことがないと言い、おそらく彼女も同じだったのだろう。

vivienne_hiroshisan_20221231_03ファッションジャーナリストのジーン・クレールを囲んで。

「90年代に入ってその頃(セディショナリーズやワールズエンド)の服に光が当たったけれど、当時マニアックに彼女の服が好きだったのは、僕とその周りの人くらい。日本で手に入るものも限られていたから、ワールズエンドのショップに行ってあるなら買いたいって言って買わせてもらっていた。好きなものが同じ、マイノリティ同士の繋がりを感じたんじゃないかな。ヴィヴィアンからしてみたら、それが嬉しかったかもしれないですね。

一緒に遊んでくれたり、今も大事にしているけど昔作ったジャケットをくれたり。マルコムと一緒にやっていた頃に、ショーも見に行きました。僕にとっては初めてのショーで、パンカチュアーというタイトルだった。」 そんなたくさんの思い出話の中に、ヴィヴィアンの素顔が覗けるエピソードがあった。

「いつだったかアトリエに遊びに行ったら、映画を観ようという話になって2人で映画館に行ったことがあったんです。事務所がピカデリーサーカスにあって、近くの劇場に出かけてカルメンを観たんですが、割と空いていてヴィヴィアンと僕は人が遮らない前の方に座ったんです。しばらくして、僕たちの前に人が座ったんです。そうしたら、ヴィヴィアンはすぐに『前に行こう』と言って、その人たちの真前に座ったことがありました。『なんで私たちの前に来るの?』ということなんじゃないかな?喧嘩を売っているようなもので、僕はちょっと怖かったですけど、そういう負けず嫌いみたいなところがあって、強い女性だなと思いました。

ヴィヴィアンはマルコムとの決別をきっかけに自身のブランドにますますの力を注いでいく。90年代に入り「ヴィヴィアン・ウエストウッド」ブランドのムーブメントが日本で起こった頃には、藤原はヒップホップやストリートカルチャーの分野で地位を築いており、徐々に接点は少なくなっていき、気づけば30年近くが過ぎていた。

「体調が悪いということは知人伝いに聞いていました。なかなか気軽にお茶に誘うこともなくなってしまって、会えれば良かったな。直接彼女から教わったわけではないですし、ヴィヴィアンなのかマルコムなのか、どっちということでもないのだけれど、70〜80年代の空気感やものに対する価値の付け方みたいなものは、二人を見て勉強したし影響されたように思う。例えば色々なものに反対してへそ曲がりなことをやることとか。そういう二人が見せてくれたパンクが、僕のパンクをつくった。僕の根底にあるパンクはヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレン。だから、悲しいです」と自身を形作った二人へと思いを馳せた(マルコムは2010年に死去)。

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最後にヴィヴィアンに伝えたいことを聞くとこう続けた。「『ありがとう』ですかね。僕ら世代は、みんなが彼女に影響を受けた。僕ら世代じゃなくても、きっと今この業界に携わってる人全て何かしらの影響を受けているんじゃないかな。回り回ってかもしれないしね。」 パンクの女王の精神は、これまでも、これからも、受け継がれ続けていくに違いない。

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