2020.07.13

「島津さん」って誰?~あるスタイリストの孤独のメモリーを追って

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渋谷PARCOのポップアップストア「POP BY JUN」にて開催中の“蔵出し”は選りすぐりのヴィンテージの逸品を販売するというもの。第1章ではアートブックの聖地、神田神保町の「小宮山書店」が登場。その膨大なアーカイヴから蔵出しされたポスターやアートブックが所狭しと並んだ。第2章では杉並の「flotsam books(フロットサムブックス)」とカルチャーレーベル「BLANKMAG(ブランクマグ)」が”タイマン”を張るというユニークなキュレーションで注目を集めた。そして最終章となるのが、スタイリストの島津由行氏がその半生をかけて集めてきた逸品・珍品を放出するという、題して「島津さん 孤独のメモリー」である。

Photo & Text_Shoichi KAJINO

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今回のPOP BY JUNでの“蔵出し”企画を全編に渡ってキュレーションした bonjour records のディレクター 上村真俊氏とともに「島津さん」を訪ねた。

上村氏は言う。「当初“蔵出し”はブックフェアのようなイメージで企画したものだったんですが、最終章では、島津さん個人の所蔵品を、まさに“蔵出し”して頂けることになったんです。先日、島津さんの倉庫に一緒に品定めにお伺いしたのですが、洋服や書籍はもちろんですが、当時たとえばコム・デ・ギャルソンから届いたポスターやDMまでがファイルにきれいにアーカイブされているんですよ。お宝が並びますよ」。

「完璧なコレクションというものではないですし、集めたと言うよりも、僕のもとに集まってきたものばかりですなんですけどね」と謙遜する島津さん。

島津由行、1959年、熊本生まれ。日本のファッション黎明期から今に至るまでスタイリストという道を極めた「島津さん」だが、その道は長く、決して平坦なものではなかったという。いくつかのものにまつわるエピソードをうかがうつもりが、僕らの知ることのなかった波乱万丈なその半生を振り返ってくれたのだった。

熊本での多感な青春期を経て、「東京へ行くならアメリカへ行くのも変わらんだろう(笑)」と初めて海を渡ったのが1974年。アメリカ見たさから、距離感も考えず、学校にいくのもやめ、夜の商売をかけ持ちして飛び出した。サンフランシスコからロスアンゼルス、ハワイへの旅だったという。

当時、頭の中はウッド・ストック以後の音楽やファッションシーンでいっぱいだった島津さんが目にしたのは、ヒッピー末期の西海岸。「当時、アイビールックから西海岸ファッションに影響を受けていたものの、西海岸に着いてみると、みんながフレアパンツにタイダイのTシャツ、ひげルック。アイビースタイルではまったくない事に、雑誌にだまされたー!と言う感覚でした(笑)。まあ、今で言うブランディングだったんですね」。

その後、ビートルズを筆頭とする音楽に惹かれて向かったのが、ロックの聖地イギリス・ロンドン。’78年、折しもロンドンはパンクの渦中。「ロンドンはとにかくライブハウスばっかり行ってましたね」。まさにマーキィーズ等のライブハウス、キングス・ロードが生き生きしていた時代だったという。

’81年「ロンドンに行く予定がヨーロッパや他の諸国も旅してみたい」と思い立って渡ったのがパリ。居心地がよかったというパリを拠点に、ある時はギリシャからトルコへ、ある時は東欧スロバキア、ユーゴスラビアへオーロラを求めて北欧へ、またある時はスペインから船でアフリカに渡ってモロッコへ。

島津さんの陸と海を越える放浪は2年程続き、旅から戻ってからは、イッセイ ミヤケ、ヨウジヤマモト、ワールズエンド等といった錚々たるデザイナーのパリコレの裏方を始めるようになったのだそう。

「この頃のショーは、時間が長く体数も多かったので準備が大変でした。一種のスペクタクルでしたよね」。

税関からの荷受け、フィッティング、スタイリストのフォローまで。パリコレのあらゆる仕事に関わり、ファッションの舞台裏からさまざまな発見することになる島津さん。

「そこで初めてスタイリストという仕事があるのを知ったんです。当時、関わっていたのは女性服のコレクションです。それまでは自分が着るための服や、自分が聴くための音楽というのに夢中だったのに、この女性服という、女性に着せて成り立つという造形美を知ったんですね。あの時代にパリで見たものが、自分のキャリアを決定的なものにしたんです」。

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放浪とパリコレでのアルバイトの繰り返しだった島津さんは、その後、買い付けの仕事も始めることになる。古着、ヴィンテージ品の買い付けのためにアメリカのマーケットからロンドン、パリの蚤の市は毎週どこかしら覗いていたという。

「古着なんかは手で生地を触って、何年代のものだっていうのが大体わかってきたりしてね。プロの掘り師でした」。

「暗い中、懐中電灯片手に蚤の市に行くわけです。孤独な作業ですよ、掘るというのは」。

同時にクリエイティブなひらめきにはこの孤独に向き合う時間が大切だったとも断言する。

手を真っ黒にしながらの孤独なマーケット巡りというのは、過去の話。「パリの蚤の市やロスのローズボールでのマーケットもショップ化し安くレアな物が見つからないのが現状です」。いまやネットで検索すれば、容易に見つかる時代となったが、島津さんは孤独の伴わないその行為には懐疑的だ。

「例えば、ミュージックT等、ネットでもかなりの量が検索できるけど、画像だけではオリジナルかどうかは判断しづらいし、加工もできるから、届いてブートだったということもかなり多いように思います。本来は、現物を目で見て、サイズ感も納得して買うのがベストだけどね。ジャスティン・ビーバーやカニエ・ウエストがあれを着てたこれを着てたとかのポストで、フォロワーもすぐに同じTシャツを見つけ買うことが出来ても、その時すでに高騰しているのがほとんど。まあ、高く買って楽しめれば良いわけだけど、インフルエンサーもTシャツのデザイン含めて、ちょっとだけ『意味』や『ルーツ』を伝えてくれるともっと素敵なんですけどね…と親父の独り言(笑)」。

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洋服に限らず、今回店頭に並ぶいくつかの写真集やアートブックは島津さんの”編集”によって集められた。

「とにかく写真が好きでしたね。例えばレコードジャケットを見ても、クレジットばかりみてましたよね。雑誌でもそう、誰が撮ってる、誰がデザインしているっていうのばかり覚えて。学校の勉強はそっちのけでなにも覚えてなかったけどね。例えばJUNが昔やってた広告をみて、僕らはアヴェドンだのデヴィッド・ベイリーっていう写真家を知るわけですよ。レコードジャケットを見てヒプノシスというデザイナーを知るわけですよ。そういう孤独な作業の繰り返しです」。

大判のポスターも並ぶようだ。

「ゴダールやトリュフォーの映画のメトロサイズのポスターかな。パリではよく映画館に行ってフランス語の勉強をしていましたよ(笑)。スタイリストになってから、写真の撮り方のヒントに、ヌーベルヴァーグからの影響も大きかった。あの「突然炎のごとく」でジャンヌ・モローを走りながら撮ってる感じとか、それが(フレンチELLE誌で活躍していた)アーサー・エルゴートやパメラ・ハンセンにつながっていく時代でした」。

「ポスターの中には剥いで持って帰ってきたのもあります。パリでよく通ってたPALACEというライヴハウス、ヴェニューがあってそこでやっていたパーティで『JUNGLE FEVER』というのがあってね。もちろんポスターは非売品だったから、夜中に剥がして持って帰ってきた(笑)」。

紆余曲折、波乱万丈の半生をかけて島津さんの身の回りに集まってきた逸品・珍品を見ながら、ひとつひとつにまつわるエピソードをうかがっていたら3時間以上経っていた。おいとまの時間だ。

「自分で選ぶときにレアだから、という基準はありませんし、ジャンルも関係ありません。モードの原点をさぐる点では、民族史も大切で、今回は出品していませんが、いろんな国の民族衣装など、旅をしながら探し求めた時期もありました。とにかく自分が楽しめることが一番。完璧なコレクションという訳ではないけど、写真や雑誌を通じてアーティスティックな感性を培ったように、今、若くて感性豊かな世代にバトンを渡して使ってもらったほうが有意義でしょう。映像的でローファイ感覚でぜひ、現代のパラパラ漫画的な物も作ってくれたら最高です!」。

こんな想いで思い切って手放すことにしたという、島津さん孤独のメモリーのつまった数々の品、ぜひあなたもPOP BY JUNで圧倒されて欲しい。

▪️出品される一部逸品たち

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「WORLDS END」トップ

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「Bande à part」ジャン=リュック・ゴダール  ポスター

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「VISIONAIRE」コム・デ・ギャルソン  エディション

■POP BY JUN “ 蔵出し”最終章「島津さん 孤独のメモリー」
会期:7月13日(月)ー7月26日(日) * 初日のみオープン時間が18:00 ~
会場:渋谷 PARCO POP BY JUN

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