60周年を迎えるドクターマーチン「1461」 ー藤原ヒロシと辿るロンドンの記憶ーSponsored
1961年4月1日に誕生し、この日がネーミングのもとになったという、「Dr.Martens(ドクターマーチン)」の定番モデル「1461 3ホールシューズ」 。数々の名品のベースとなった同モデルだが、なかでも2019年に発売されたフラグメント デザインとのコラボレーションは伝説とも言える一足だろう。Dr.Martensの誕生の地でもあるロンドンに、1980年代に住んでいた経験のを持つ藤原ヒロシに、当時の生活やカルチャーについて話を聞いた。
Photo_ Masamichi Hirose Text_ Kurumi Fukutsu Intervew&Edit_Mio Koumura
■「その選択肢しかなかった」Dr.Martensとの出会い
—ヒロシさんも2019年に「1461」
番号はわからないけど、これです。それまでにも何度かオファーが
—元の「1461」から3ホールから5ホールに変えたんですね。
5ホールに関
—そうだったんですね!ヒロシさんが初めてドクターマーチンを知ったのはいつ頃だったんでしょうか?
中学生の時くらいですかね。当時はスカブームで、
—では、初めて買ったのはいつ頃ですか?
1982年にロンドンへ初めて渡ったときです。カムデン・タウン駅の裏に、直営ではないんですが、マーチンを売っているお店があって(※British Boot Companyという古くからドクターマーチンを取り扱っているショップ)。僕はもともと、モーニントン・クレセント駅から近いところにある友人の家に居候していたのですが、カムデン・タウン駅もよく使っていたのでその店に足を運ぶこともあって。僕が買ったのは、これだったかな(1461PLAIN WELT)。ロンドンに行って初めて買った靴だったんじゃないかな。マーチンは黄色のステッチがアイコニックではあるんですが、僕は黒が好みだったので黄色のステッチがないものにしました。その前にロボット(ロンドンのシューズメーカー)のもの履いていたから、エアークッションって履きやすくて良いな、と思った記憶はあります。
—なぜ、ドクターマーチンを買おうと?
家から一番近い靴屋にあったから(笑)。おしゃれなレザーシューズは他にもあったかもしれないですが、靴を買いに行くならワールズ・エンドかロボットか、マーチンに買いに行くか。僕には当時、その選択肢しかなかったですね。好きなチョコレート食べたら明治だったみたいに、好きなブーツを履いてたらマーチンだったみたいな感じです。
写真左から1461、1461PLAIN WELT、モンキーブーツと呼ばれるCHURCH
■藤原ヒロシが見た80年代とロンドンの景色
—ロンドンはヒロシさんがいた時代から大きく変わりましたよね。
そうですね、
—最近よくロンドン時代の写真をインスタに投稿されていますね。
ロンドンの友達から、当時の写真が送られてくるんです。
—年上の友人も多かったんですね。
そうですね、今話した友人はだいたい20歳ほど年上かもしれないですね。珍しかったんじゃないかな?こんな子どもがロンドンに来ていること自体。当時はロンドンは日本からはすごく遠いイメージだったのであまり日本人もいなかったですし、何よりポンドが550円の時代ですから。
—高い!よくドクターマーチンの靴買えましたね。
マーチンはそれほど高くなかったと思います。
—そうなんですね。当時の記録が写真として残っていることも貴重ですね。
90年代に入ると写真って急激に増えるんですが、当時は全員がカメラをもっているわけではないので、ストリートスナップみたいなものも少ないですし。そういう意味では、早くから写真を撮る人たちが僕の周りには結構いたんだと思います。
—当時は何に夢中になっていたんでしょうか?
クラブに行くのは楽しかったですね。日本のクラブカルチャーとは全然違っていて、音楽もそうですが遊びに来ている人が全然違って、派手なファッショニスタみたいな人が多くて刺激的でしたね。今もあるのかもしれないけれど、ヘブンというゲイクラブと、その隣のチャチャというクラブがファッション感度が高い人が集まることで有名な場所でしたね。ヘブンには女性が入れないし、チャチャは一切観光客は入れないんですが、この2店舗は実は裏で繋がっていて女性でもチャチャからはヘブンに入れたりするので、その2店舗を行ったり来たりする人もいて。そこはおしゃれな人も多く、盛り上がっていてよく通っていました。そういえば、僕すごいことをロンドンで教えてきたんです。
—何でしょうか?
カムデン辺りには日本人が多く住んでいたので、日本のスーパーマーケットもあったんです。ペヤングのようなカップ焼きそばも置いてあって人気だったようですが、誰もその作り方を知らないから、ソースを入れて湯切りせずにラーメンのように食べていて(笑)。「これは焼きそばだから違うよ」って、湯切りの仕方を教えてあげました。
—それは偉業ですね!ヒロシさんの周りにはドクターマーチンを履いている人もたくさんいたんですか?
そうですね、僕の周りも黄色のステッチより黒いステッチのものを履いている人が多かったですが。でも、さっき言ったように元々ワーキングブーツだったので、ロンドンでは世代や性別を問わずみんな履いているようなもので、今のようにファッションというイメージはなかったですね。当時はシューズの選択肢があまりなかったので、他に履くものがなかったのかもしれないです。一度、14ホールくらいの長いブーツを履いているスキンヘッズの学生を見て、「あ、こういうのもあるんだ」と思った記憶があります。ちなみに、ロンドンでは「1461」のことをポストマンシューズと呼んでいました。
—パンクのイメージがありましたが、そうでもなかったんですね。
「1461」はスカとスキンヘッズのイメージで、強いて言えば「1460」(8ホール)の方がパンクの印象が強いですよね。でも、感度が高い子はみんな通る靴なんでしょうね。そういえば、バッファローを立ち上げたスタイリストのレイ・ペトリはスチールキャップシューズをよく履いていました。
—つま先部分に内蔵されたスチールトゥキャップが見えているデザインのものですね。
そうです。昔、ロンドンで居候していた家にヴィヴィアンの靴を手伝っていた子がいたのですが、彼は「1461」のトゥの部分を自分でカッターナイフやヤスリで削って自作のスチールトゥキャップシューズを作っていました。そこに水色のペンキを塗ったりカスタムしていて、僕は面白いなと思っていましたが、それからそれが流行ったり、ブーツ自体にペイントする人も現れたり。既存のものに手を加えるということが周りで広がっていって興味深かったですよ。
—日本では90年代頃に知名度が拡大していったようです。
そうなんですね。Ready Steady Go!という店が並木橋のあたりにできたのもその頃なんですかね
—今年ヒロシさんのコラボモデルのベースでもある「1461」は60周年だそうです。
僕より年上なんですね(笑)。60年も同じものが支持され続けているということは、とても素晴らしいことですね。継続することは、みんなが見習わないといけないことだと思います。
—ありがとうございます。最後に、ヒロシさんがマーチンのイメージに合う楽曲を選ぶとしたら何を選びますか?
曲はカバーだけど、The Specialsの「モンキー・マン」ですかね。
https://jp.drmartens.com/