The Rolex Report Season 1

時計の世界で起きたいくつかの出来事について

時計の世界で起きたいくつかの出来事について

ここ数年、時計の世界で 2 つの新しい大きな出来事が起きました。1 つめはヴィンテージロレックスが名実ともにオークションでも中心的存在となったこと。これは時計世界の一つのヒエラルキーを打破する出来事だと言っても良いと思います。つまり、50 年前に作られた ROLEX の古いステンレス製のシンプルな実用クロノグラフ (当時は 2,000 ドル前後で売られていたもの) が名門中の名門パテックフィリップのゴールドやプラチナ製のミニッツリピーターなどのコンプリケーション (複雑時計) よりも高値を付けるという現象が、現実のものとなったのです。もちろんその原因はヴィンテージロレックスそのものが持つ人気の高さであるのは間違いありませんが、それだけではこのような現象は起こらなかったと思います。

もう 1 つの出来事は時計オークションの世界がここ数年、PHILLIPS を中心に動いているという事実です。オークションハウスの中でサザビーズやクリスティーズに比べて全体の規模こそ小さい PHILLIPS ですが、今やジュネーヴで毎年 3 大オークションハウスが同時にオークションを行うとき、最も魅力的な時計をラインアップしてるのはクリスティーズでもサザビーズでもなく、PHILLIPS である。という認識が世界の時計コレクターやトップディーラーの間においても常識となりました。

この 2 つの出来事は、密接にリンクしており切り離して語ることはできません。この数年 PHILLIPS を始めとする時計の世界の仕掛人たちが目指したものは「ヴィンテージロレックスのブランディングの再構築と資産価値の安定化」だったと見てとれます。

【fig.1】2016 年 5 月の PHILLIPS で 6263 OysterDown のトロピカルが 1,985,000CHF (邦貨 2 億 2,000 万円) で落札。当時としてはポールニューマンの過去最高額。
【fig.2】2017 年 5 月の PHLLIPS に、存在しないと言われていた幻の 6263 の金無垢オイスターケースのポールニューマンが登場。3,722,000CHF (邦貨 4 億 1,250 万円) で落札。
例えばアートでも高値をつけるその根幹となる事実はなんでしょうか。それは「この作品が確かにこのアーティストによって描かれた」という事実に他なりません。だからオークションハウスは専門家を揃えて、出品された作品が本物かを鑑定し、入札者に「投資に値する安全性」を提供しています。もちろんこれは時計であっても同じ事。例えばパテックフィリップは昔のモデルであっても、時計をスイスのパテック本社に送ると、この時計はいつの時代にパテック社が生産したものであるという証明書 (アーカイブ) を発行してくれます。これはパテックフィリップが少量生産の工芸品に近い時計であり、ブランドが誕生してから現在に至るまで生産記録を管理する体制で運営されてきたからできる事です。

しかし ROLEX はパテックフィリップなどの超高級腕時計に比べると実用品的であり生産数も、販売されてきた国の数も遥かに多く、全ての時計に対してアーカイブを発行する事は ROLEX 社といえど、物理的に不可能であり、ROLEX は過去の時計に対してそういう事を一切行いません。ROLEX 社がオリジナリティを鑑定しないならば、それはオークションハウスの仕事です。勿論、オークションハウスはこれまでも、その努力は行ってきました。ですがその鑑定に関する知識体系やオリジナルかどうかの真贋に対する専門的判断は、基準が曖昧な部分が多分にありました。ですから、ほんの 10 年くらい前まではオークションに出品されてる時計であってもオリジナルかどうか怪しいものが平気で並んでいるという状況でした。

そんな状況のなか、ヴィンテージロレックスの価格はどんどん上がってきました。時計の値段がここまで高騰すると、買う方も資産価値としての安定性を求めるものです。言いかえれば、マーケットの成熟と共に、いわばその裏書きというようなものが求められる時代になったとも言えるでしょう。これ以上ヴィンテージロレックスが高値になっていった時に、以前の体制のままでは「資産としての安全性」が担保されていない、という危うさがありました。そこで時代が求めたものは、時計のケースのシリアル番号に基づいた文字盤との適合性の完全な体系化でした。勿論、単純に時代を合わせるだけでなく、どのモデルにはどんな文字盤が入って良いのかと言うマッチングの徹底化でした。

デイトナを例に例えると、そこで大きな役割を果たしたのが Pucci Papaleo という人物です。2012 年に彼は手巻きデイトナの多くのバリエーションを網羅した写真集「ULTIMATE ROLEX DAYTONA」を出版。この本ではもの凄い数のヴァリエーションのデイトナをクオリティの高い写真と共に、ひとつひとつ細くその仕様を紹介しています。彼は著書の中でデイトナの全てのモデルごとに、モデルごと固有の文字盤のディティール、そして相応しいケースやパーツ、適合するケースのシリアル番号などを掲載し、それぞれにきちんとした存在価値を付与しました。

またその一方で、本当に販売されていたのか疑わしいプロトタイプのような文字盤 (文字盤自体は ROLEX によって製造されたのは間違いないが、恐らく一般に販売された事は無い文字盤) にも、その文字盤の製造年代に合うシリアルのケースを合致させ、魅力的な名前を与え、その存在にきちんとストーリーと神話性を付与しました。現在では、プロトタイプの文字盤を持つデイトナも彼がお墨付きを与えたモデルは、時には 1 ミリオン US ドル以上の値段がつくようになりました。彼らはオークションハウスとも良い関係を築きながら、言わば新しい時代のデイトナの権威となった訳です。

【fig.3.4】書籍「ULTIMATE ROLEX DAYTONA」/ Pucci Papaleo 手巻きデイトナの全てを網羅した本格的書籍。装丁やクオリティも圧巻で、4,000EUR (邦貨 52 万円) という価格。
【fig.3.4】書籍「ULTIMATE ROLEX DAYTONA」/ Pucci Papaleo 手巻きデイトナの全てを網羅した本格的書籍。装丁やクオリティも圧巻で、4,000EUR (邦貨 52 万円) という価格。
【fig.5】こちらはミニサイズ。それでも 600 ページフルカラーという本格的な製本。
PHILLIPS が次に行ったのは徹底的なイメージ戦略です。それまでオークションブックなどの時計の写真といえば白バックに真正面からのブツ撮り写真という、言わば味気ないカタログ画像のようなものばかりでした。たとえ出品された時計を実際に撮影した写真であっても、それはまるでCGのような無機質な写真で、カタログを見た人に訴えかける魅力に乏しかったのです。そこで PHILLIPS は Pucci の書籍でも撮影を担当した Fabio Santinelli (f2f studio) を起用。ここぞと言う重要なオークションでは彼らの手によって撮影された情緒感の溢れるクオリティの高い画像でオークションカタログを制作したのです。彼らの撮影するハイレゾ写真の数々は構図や照明も非常に計算されており、見る人にヴィンテージロレックスの持つデザインの素晴らしさを圧倒的なリアリティで訴求する事に成功しました。それに加えて大きかったのは、PHILLIPS には Aurel Bacs という稀代のスターオークショニアがいた事です。Aurel というカリスマ性のあるオークショニアをメインアクトに据え、クオリティの高いオークション体験を提供。例えるなら、彼らはヴィンテージロレックスをオークションで購入するという体験を美しい1つの物語としてパッケージし、資産価値的安心感まで添えて、世界中の時計ファンに提供したと言っても良いと思います。

このようないくつかの大きな要素が、決して偶然ではなく、一つの大きな流れとして同時並行的に進められた事によって、ヴィンテージロレックスの価格がこの数年で跳ね上がったのです。ありていに言えば出品される個体のレベルとそれを扱う環境が格段に進化したと言えるでしょう。大切な事はただ単純に値段が上がったと言う事ではなく、「ヴィンテージロレックスが確固たる投機対象としての地位を得た」という事実です。そう、アートや不動産と同じように。

【fig.6】2017 年の N.Y での PHILLIPS のオークションカタログ。
【fig.7】2018 年の Geneva での PHILLIPS のオークションカタログ。
【fig.8】Fabio Santinelli によるカタログ写真。6263 Khanjar
それは、情緒感溢れる写真で、これまでのオークション写真のイメージを変えるような写真であった。
【fig.9】Fabio Santinelli によるカタログ写真。6241 "JPS"
革ベルトを使うときは J.P.Menicucci の製品を使い、その色のコーディネートも含め徹底したイメージ戦略の元に入念に撮影されている。
そして最後に、これは言うまでもない事ですが、この流れを加速させたのはインスタグラムの台頭でしょう。数人のトップコレクターやディーラーのアカウントをフォローしておくだけで、トップレベルの個体が毎日タイムラインに流れて来ます。どのディーラーが何を仕入れたのか、次はどのモデルが台頭するのか。そんなディールの余熱のようなものまで、誰もが感じ取ることができる時代になりました。コレクターはトップディーラーの動きや、次のオークションハウスの動向などを見据えつつ、次の目標に思いを巡らせる、そんな楽しみ方も生まれたわけです。(2 に続く)

written by *Visionary Tokyo